代表 石岡浩明 新フルーツ王国への挑戦

 

さくらんぼ、りんご、ラ・フランスと、全国有数のフルーツ栽培が盛んな山形県ですが、

「レモン」を作っている方は、ほとんどいません。

そもそも、「レモン」は、冬は温暖で、夏に乾燥する地域で栽培に適しているとされていて、

冬は雪が降り、厳しく冷え込む山形では、まず収穫できないと考えられてきました。

 

私は、その山形市でレモン栽培に挑みました。米の専業農家を営んでいた両親のもとに生まれましたが、

農作業の大変さに嫌気がさし、大学進学と共に山形を飛び出して首都圏で就職しました。

全く畑違いのメーカーの営業マンとして、各地を飛び回っていました。

 

ちょうど茨城・つくばに住んでいた、2011年何か新しいことに取り組みたいと思っていました。

その矢先、息子さんが学校から持ち帰ってきた1枚のチラシに目が止まりました。

 

『ブルーベリーの木のオーナーになりませんか?

ブルーベリーは皮をむく必要もないし、簡単に食べられる。これ・・・、やってみようかな』

 

私は早速、1本のブルーベリーの木のオーナーとなり、収穫の楽しみを知りました。

そして、日に日に「ブルーベリーをもっと育てたい」という気持ちが膨らんでいきました。

幸い、山形の実家には、昔、ご両親がお米を作っていた農地があり、51歳で山形へ戻り、

ブルーベリー作りに乗り出しました。

 

まず、地元の農業大学校や園芸試験場に通って、農業のイロハを学びながら、

全国のブルーベリー農家を訪ねて作り方を学び、無農薬栽培での商品化に成功。

さらには、パッションフルーツの無農薬栽培にも取り組んで、出荷にこぎつけました。

そんな話を聞いた一人の男性が、ある日、私のもとを訪ねてきました。

 

「レモン、作ってくれませんか?」

そう言ってやってきたのは、がんを患って療養中の地元の方でした。

訊けば、無農薬の食材をすりおろしたジュースを、日課で飲んでいるといいます。

無農薬のりんごと人参は、地元の農家さんで揃いますが、無農薬のレモンは入手困難。

そこで無農薬でパッションフルーツを作っていた私を訪ねてきてくれました。

その時は、私の頭は「レモンは南のほうで採れる果物」としか思いませんでした。

 

調べてみると、東京の八丈島に、比較的寒さに強い「八丈レモン」という品種があることが分かりました。

さっそく八丈島からレモンの木を取り寄せて、半信半疑ではありましたが、

無農薬栽培にチャレンジすることにしました。

 

1年目の2014年は、茂りだした葉っぱが、すぐ真っ黒になってしまいました。

レモンの甘酸っぱい香りに誘われたアブラムシやアゲハチョウの幼虫たちが、

あっという間に群がってしまったんです。

当然ながら、収穫はゼロに終わりました。

 

それでもめげずに2年目も挑戦。

細心の注意を払いながら、やっとのことで、ビニールハウスにわずか2個ではありますが、レモンの実がなりました。

 

『山形でも本当にレモン、採れるんだ!』

 

そう自信を持った私は、少しずつレモンの作付けを増やしていきます。

無農薬栽培ですから、暖かくなると、虫たちはすぐに寄ってきますが、

高圧の水を木にかけて虫を落とし、自然素材由来のオイルを塗って虫よけにします。

 

一方、冬の寒さは、雪が味方して、乗り越えられることも分かってきました。

雪がやんで太陽が顔を出すと、日光に加え、積もった白い雪に反射した光も差し込んで、

特別な二重のビニールハウスは、温度が40近くまで上昇。

ぽかぽかのハウスのなかで、皮まで食べられる瑞々しいレモンが収穫の時を迎えます。

 

そんな東北の自然の恵みの中で育ったレモンに、

知り合いの方が、「雪国レモン」と名付けてくれました。

2023年の冬は、900個近くを収穫。レモンの木が年々寒さに強くなっていると感じています。

 

最近は、地元・山形で農業に従事する若い人たちも、しばしばハウスへ見学にやって来ます。

 

そして、収穫された「雪国レモン」は、山形県内のホテル・旅館や料理店などへ

納めたほか、通信販売も行って、完売するまでになりました。

これからの夢は、雪国レモンを山形の特産にして、作る人も、コラボした商品も、

もっともっと増やしていきたいと思っています